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川野司法書士事務所ブログ

「リトルフォレスト」


映画「リトル・フォレスト」をwowowで観ました。

目が釘付けになるほどに美しい日本の四季と橋本愛ちゃんのひたむきな演技に引き込まれてしまいました。



東北地方のとある山里「小森」で生まれ育った主人公イチ子が、

一度は「街」に出るものの、またふるさとに帰ってきて、その土地に根付いた暮らしを自分なりに身につけて生きていく。

小森の暮らしは自給自足。

収穫したものを手を掛けて保存し、その惠みを食し、日々を生きる。ただそれだけ。

それだけなのに、街の暮らしを知ってしまったイチ子にとって「小森の暮らし」は過酷でありながら純粋で、尊い。

だから、きっと「こんな自分でいいのかな」「小森に失礼なんじゃないかな」という疑問が生まれてきたんだろうね。

そして、イチ子はまた小森を出て行く。



取り立てて大きなストーリーがあるわけじゃないけれど、

美しい風景の映像とイチ子が自然の恵みから作り出す「dish」が観るモノの五感をガンガン刺激してくれるのです。

ドキュメンタリータッチでセリフも少ない作品だからこそ、

幼なじみの男の子が吐いた言葉がくっきりと浮かび上がって映画の強烈なメッセージになっています。




なんにもしたことないくせに、なんでも知ってるつもりで
他人がつくったものを右から左へ移してる奴らほど威張ってる。
薄っぺらな人間の空っぽな言葉を聞かされるのもうんざりした。

他人に殺させておいて
殺し方に文句つける様な
そんな大人にはなりたくないと思っている。



 

2016年もよろしくお願いいたします。

管理者hanakoです。

司法書士事務所のHPながら、勝手なことをつらつらと書き連ねてきた当ブログ。

夏以降、ぱったりと更新が途絶えてしまって、少数精鋭?の読者様をご心配させてきたかと勝手に思っていますが、

2015年10月に長男を出産いたしました。


ある程度生きていると、

いいこともあれば悪いこともあって、

でも「いいこと」も「悪いこと」も大して大きな違いはなくて、

やっぱり人間万事塞翁が馬なわけで、、、

などと分かった風なことを思っていましたが、

出産・育児はそういうちっちゃな考えをドカーンと吹っ飛ばしてくれるくらい

靜かなるエネルギーに満ちた壮大なる出来事で、

自分自身が全身を真水で洗われたようなすがすがしい気持ちにさせてくれました。

特に生後3カ月までの赤ちゃんの細胞分裂の速度は奇跡のようで、

毎日一緒にいるのに、表情、手の動き、体の動き、

そのひとつひとつが昨日とはまるで違っていて、

否応なしに前向きにさせてくれます。



小さな体から発せられるきらきらとした光をたくさん浴びて、

私たちもますます精進していく所存ですので、

2016年も川野司法書士事務所をよろしくお願いいたします。

 

映画「メイジーの瞳」


またまた早朝のwowowシネマでついつい見入ってしまった映画がこれ。

「メイジーの瞳」。



ヨーロッパとアメリカを行き来する美術ブローカーの父親と

全米ツアーで留守がちなロック歌手の母親が離婚するも、

それぞれが一人娘メイジーの親権を主張。

裁判の結果、10日おきに双方の家を行き来することになったメイジーです。

ところが、父親も母親も仕事に忙しく、メイジーの世話などできるはずもなく・・・。

挙げ句の果てに、父親はメイジーの子守だった若い女性と結婚して

彼女にメイジーの世話を押しつけます。

そうと知ったロック歌手の母親は、バーテンダーの若い男と結婚して、

これまた彼にメイジーの世話をさせるのです。

そのうち「10日ごとルール」も形骸化し、メイジーを主体的に世話するのは、

父母それぞれの新しいパートナーとなった元子守の女性とバーテンダーの男性。



親権は主張しておきながら、義務はなおざりにする実の両親ですが、

メイジーに会えば必ず「キスの嵐」と「愛してる」のシャワーです。

観ているうちに、それらの愛情表現がほんとーに軽薄に見えてきて、

「なんだこの親は?!」という気分にさせられます。

その一方で、元子守の女性は、パンケーキを焼いたり、海辺のコテージに連れて行ったり、

親じゃないけど、愛情たっぷりにメイジーに接します。

若いバーテンダーだって、メイジーの学校のお迎えをしたり、

引き取り手のないメイジーをバーの片隅に座らせて相手をしてやったり、

どちらもすごく献身的。


メイジーの瞳は、だれに、どこに、本物の愛があるのか、しっかり見通しているけれど、

それをおくびにも出さず、ただ、無邪気に子供として甘えているように見えます。

こどもなのにおとな、おとななのにこども。

そんなメイジーの心理を、ほとんどセリフなしに演じているこの子役さんはすごい!


現代日本でも「放置子」なる言葉があるほど、

親から構ってもらえない、あるいは、十分に世話を受けていない子供が増えているそう。

愛情不足はこどもの瞳を曇らせる。

そんな気がした夏休み最期の早朝でした。

 

映画『さよなら、アドルフ』


最近、早朝5時くらいに目覚めることが多いのですが、

wowowではその時間帯に、なんとなく静かな映画を放映していることもあって、

ついつい見入ってしまいます。

数日前は、1973年のアメリカ映画「追憶」を観て、

イケメンのロバート・レッドフォードに心奪われかけました。



今朝は、オーストリア・ドイツ映画「さよなら、アドルフ」を観ました。

第二次大戦終結直後のドイツで、ナチスの高官を父に持つ幼い兄弟姉妹が、

父も母も出頭して消え失せ、子供達だけで900キロの道のりを歩いて、

祖母のいるハンブルグへと向かうロードムービーです。



主人公といえるのは、10代半ばくらいの長女ローレ。

幼い姉弟と赤ん坊を連れて、ハンブルグへと向かうのですが、

訳が分かっているのは自分だけという責任重大な状況で、

ガチガチに気が張り詰めている様子が画面から伝わってきます。


しかも、ナチス万歳・ユダヤヘイトと信じていたのに、

旅の途中でホロコーストの真実を知り、強姦されて殺された生々しい死体を見て、

泥の川で体を洗い、死体から壊れた時計さえも盗む生活。

だんだんと食糧をもらうためなら裸にもなろう、という根性が生まれてきます。

途中からユダヤ人の青年に助けられ、大嫌いなユダヤ人に依存している自分に気づく。

それまで信じていた価値観がガラガラと根底からくつがえされる。

たぶん。


そう、推測することしかできないのは、

ほぼ全編で、主人公ローレが感情を吐露することがないから。

最少のセリフと目の動きだけで、淡々と旅路が描かれるのです。



全編109分中100分くらいの間、画面に抑圧感があったからこそラストシーンが見事でした。

ハンブルグに到着するとおばあちゃんは今までと何ら変わらない生活をしていました。

お湯がたっぷりのお風呂で体を洗って、

メイドによってきれいにテーブルセッティングされた食卓につくと、

弟は旅のくせが出て、ついついお祈りも忘れてパンに手を伸ばします。

「しつけがなってない」と激高するおばあちゃん。

それを見て、ローレはまるで動物のようにパンを口に放り込み、がつがつと食らいつくのです。

思想も信条も価値観もすべてを失ってただのヒューマンビーイングに戻った瞬間の象徴でした。



ストーリーらしいものが全くないので、

「これってどういう終わり方するんだろう」という好奇心だけで、

最期まで見続けた感じなので、「オススメする?」と尋ねられれば、「どうかなぁ」という感じ。

でも、映像の記憶って人生のふとした瞬間によみがえることがあって、

そういう意味でのストックにはいいかも知れません。

今日は、梅雨の曇り空もあいまって、一日陰鬱とした気分になりました。

きっと、いつか、どんよりした日には、

早朝からこんな映画を観たことを思い出す日がくるかもしれません。
 

スコーン、その深淵なる味と食感


自称「スコーン婦人」を称する身としては、

パン屋、カフェなどの店先で「スコーン」を見つけると、

「食べたい」という欲求よりも、「さてさて、どんな味と食感のスコーンだ?」

という探究心がむくむくとわいてきて、ついつい購入してしまいます。


思い返せば、この生活の地・徳島において、

10年前といえばまだまだスコーンは市民権を得ず、

パン屋さんで「あ、スコーンみっけ!」と狂気乱舞してほおばれば、

「あれ?パンみたいなスコーンじゃん」とガッカリ。

たまにスコーンと銘打ったマフィンを販売しているところもありますが、

似て非なるものと声を大にしていいたい。

それから、厚めのクッキーみたいに平べったいのもスコーンとは認められない。



そう。hanakoにとってスコーンの王道とは、

生地はあくまでサックリ、粉とバターの風味が感じられるシンプルさ。

形はスマイルくんのように横にパカっと割れているくらいが理想。

大きすぎてもいただけません。

スコーンにはスコーンなりの身の丈にあった大きさがあるのです。

スコーン2個でティータイムにちょうどいい大きさがよろしい。

まるで、アガサ・クリスティーのドラマ「ミス・マープル」の

ティータイムに出てくるようなタイプです。

お店で食べるなら、本物のクロテッドクリームをたっぷりつけて、

シンプルな味のシンクロを楽しみたい。




本題です。徳島でもスコーン熱がじわじわと広がっているのか、

hanako好みなスコーンを販売しているお店が確実に増えてきました。

長年「スコーン。スコーン」と遠吠えしてきた身としては、

ほんまに喜ばしく、そして大歓迎の状況です。



そんな昨今、hanakoの独断と偏見で、

徳島スコーンおすすめ店(2015年6月現在)を発表します!!!

14g 
エシュロン・ティーハウス(店内飲食)
MANI(コーヒーワークス内)
 
です。


これからも定期巡回ならぬスコーン・パトロールを続ける所存ですので、

また徳島における輝かしいスコーンの最新情報をお伝えしたいと思います。


 

全仏オープン反省会


テニスの全仏オープンが終わりました。

ほんと楽しかった2週間でした。

今回の3大見所は、

1.ナダルが10回目の優勝を飾るのか?

2.ジョコビッチが全仏優勝で悲願のグランドスラム制覇となるか?

3.錦織くんが初のグランドスラム優勝を手にするか?

でした。




しかし、テニスってわからないものです。

錦織くんはまさかまさかでサーブが絶好調だったツォンガ相手に惜敗し、

ナダルはジョコビッチとの準決勝で敗れ、

ジョコビッチ悲願のGS制覇が誰の目にも明らかになっていたところで、

優勝したのは、スイスのワウリンカ選手だったのです。

しかし、ワウリンカ対ジョコビッチといえば、全豪で5時間を超える死闘を繰り広げた2人。

トーナメントの頂点にふさわしい、すばらしい試合を見せてくれました。



ここで振り返ってみると・・・


錦織くんは、ツォンガ戦の1・2セットで、

風が強くて思うようなプレーができないことへのいらだちを募らせ、

ラケットをたたき折ろうとしては我慢して自制し、
(ジョコビッチなら折れるまでしぶとくたたいたはず!)

イライラを募らせていましたが、結局、たたき壊しました。
(やっぱり壊さなきゃストレスは発散できなかったと思います)

もちろんツォンガ応援に詰めかけたフランス人から大ブーイングです。

こんな不安定な錦織くんはひさびさに観ました。




最近のナダルはとにかく打つ球が浅い(素人目線の上から語り口で失礼します)。

調子のいい時ならスピンを掛けてベースラインにぎりぎり落ちて大きくバウンドする

彼独特のフォアが冴え渡っているはずなのに、

とにかく、サービスラインくらいに落ちて、大して弾まず、

相手にとってはかなり打ちごろのチャンスボールになってしまっているような気がします。




ジョコビッチ。残念でした。

(内心は知らないけど)
いつも自信満々で今季は全マスターズ優勝と絶好調だったところで、

まさかの準優勝です。

GS制覇のために、また1年後のローランギャロスへ戻ってこなくてはなりません。

相方は「司法書士試験に落ちたら、また1年後の試験まで勉強が続く。

思い出しただけでツライ」と

わけのわからないシンパシーを抱いていました。



さて、6月29日から芝のウインブルドンが開幕します。

1年をこうして(テレビで)テニス観戦しながら過ごしていけるのは本当に幸せです。


 

近江へー近江商人の真の姿を知るー


近江といえば「近江商人」。

現在もなおトヨタ、伊藤忠、高島屋、西川産業(ふとんの西川)など、

近江商人に起源をもつ老舗企業が経済界を牽引しています。



相方と二人、何も知らずに

「近江商人といえば歩いた後にペンペン草も生えない吝嗇家」と

大変失礼な決めつけをしていました。

近江商人の蔵

しかし今回、立ち寄った近江八幡で近江商人のお屋敷を眺め、

近江商人について考えをあらためました。



江戸時代にはすでに複式簿記を実践し、本拠は近江に置くけれど、

経済活動は全国、さらに海外にまで及んでいた近江商人。

需要と供給のバランスに商機を見いだし、人を大切にし、質素倹約をする商売手法は、

現在のボーナス制度などにも生かされているそう。

ただ、家業をつぶしかねないような跡取りであれば「押込隠居」といって、

強制的に隠居させるやり方がまかり通っていたらしく、

それもまた、今でいう企業のゴーイングコンサーンの秘訣だったのでしょう。



日牟禮八幡宮の入り口にあった近江商人の説明が書いてある立て看板を読んでいると、

なんだか、お昼に「招福楼」へ行ったのが身の程知らずだったような気もしてきましたが、

モノではなく経験を買いたいー

その経験を今後に生かすことこそ大切なんだと勝手に「川野訓」を打ち立てた次第です。

 

近江へー水郷めぐりー


近江を旅したふたつのめの目的は水郷めぐりでした。

今は亡き作家山本兼一さんの「火天の城」を読んで、

安土の地を眺めたいとずっと思っていたのです。


船頭さんの手こぎ船に乗り込んで、

網目のように入りくんだ水郷のヨシ原の間をゆったりとめぐります。

人工物がまったくない水郷の風景。

野鳥の鳴き声、風にそよぐヨシの音、たまに船頭さんの唄に耳を傾けながら、

目の前に広がる日本の原風景に身をゆだねていると、

はるか昔、戦国の世にタイムスリップしたかのような気分でした。

水郷めぐり

近江へー招福楼ー真の贅沢とは


週末、近江へと「小さな旅」に出かけました。

まずは、人生で一度は訪れたかった料亭「招福楼」(滋賀県東近江市八日市)へ。

門からのアプローチ、家屋のたたずまい、室礼、もてなし、

そのすべてが別格で、つたない言葉を尽くして書こうとしても、

文字にすれば乖離が激しく、黙ってDELキーを押すのみです。


お部屋はまさに谷崎潤一郎の「陰影礼賛」そのままの世界。

ガラス戸越しに見えるお庭では、玄関番の方が石畳に水を打って涼を届けてくださいます。

お料理は、禅の精神とお茶の心が込められた茶懐石の本道であり、

高級和食や割烹などとは比べられない別格の連なりでした。



井戸のつるべに見立てた漆塗りの重箱の中に氷を敷き詰め、

古い時代のガラスの器の中に酒肴を入れた一品は、

重箱のふたにも水滴がかけられており、

まるで今まさに井戸から引き上げたかのような清涼感で

一陣の風が吹き抜けるような気がしました。



真の贅沢とは何なのか。

その一端を教えていただいた気がします。

そして、もっと勉強して、またいつか、と思っています。



お料理の写真は残していませんが、デザートのみご紹介します。

招福楼
  • 2015.06.08 Monday
  • -

「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」


やっと徳島で公開になった「イミテーション・ゲーム」。

第二次世界大戦下のイギリスで、

若き天才数学者のアラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)が、

ドイツの世界最強の暗号エニグマを解き明かすストーリーです。


同性愛者で天才が故に人の気持ちを推し量ることが苦手というアラン・チューリング。

その独善的な性格から次第に暗号解読チームの仲間とも対立していくのですが、

彼の理解者として、キーラ・ナイトレイ演じる才女ジョーンが現れます。


アラン・チューリングの複雑な人格とその偉業をうまくまとめた映画でしたが、

hanakoにとって一番印象的なシーンは、

キーラ・ナイトレイがベネディクト・カンバーバッチに

ぱーんと平手打ちをくらわせるところです。

まるで画面が一瞬静止したかのように鮮烈なビンタでした。

彼の心の中までひっぱたいた感がでていました。

キーラ・ナイトレイって、平手打ちさせたら世界一?

というくらい厳しく、美しく、きまっていました。

さらに真骨頂は、キーラ・ナイトレイがもう一回平手打ちしようと手を上げかけたけど、

思いとどまって、ひどい言葉を浴びせかけるシーン。

女ですね−。

思いとどまった一瞬で、暴力よりももっと彼を傷つける方法を見つけた感じがよく出ていました。

 

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