ドラマ「深夜食堂」

 
俳優の小林薫さんといえば、

NHKドラマ「イキのいいヤツ」で演じた硬派な職人のイメージが浮かんできます。

最近話題のドラマ「深夜食堂」では、真夜中12時から朝7時ごろまで新宿ゴールデン街の片隅で

開店している「めしや」の店主が、またまたハマり役。



「深夜食堂」のメニューは「豚汁定食」「ビール」「酒」「焼酎」だけ。

でも、店主は「注文してくれたら、あるもんなら何でも作るよッ」という感じなのです。

そこで毎回さまざまな登場人物が、タコの形の真っ赤なウィンナーとか、甘い卵焼き、ポテトサラダ、

バターライス、タマゴサンド、ソース焼きそば、アジの開き、などなどを注文し、

小林薫演じる店主が「あいよッ」と軽く応えて、料理を出す。

それぞれの心にしまってある、懐かしい、そして切ない思い出とともに、

目の前の一皿を味わうというわけです。



フードスタイリストは飯島奈美さん。やはりというか、さすがというか、いずれの料理にも、

「懐かしさ」というかくし味が効いています。

もともと原作の漫画を読んだことはないのですが、

ドラマに出てくる登場人物のキャスティングはすごく好みでした。

第9話「アジの開き」に出てくる、ローズ八千代役の「りりィ」さんという元歌手・女優さんは、

凛とした美しさが漂っていて、ドラマの生き様を体現しているかのような貫禄です。




「深夜食堂」は10月からテレビで続編が放送予定ですが、放送時間も深夜0時55分から。

毎晩11時に寝てしまうし、録画機能もないため、たぶん放送は観られないと思いますが、

またいつかDVDが出たら、レンタルしてみようと思います。





『みをつくし料理帖ー心星ひとつ』

 
以前からご紹介している「みをつくし料理帖」(ハルキ文庫)。

待ちに待った第6弾「心星ひとつ」が発売されました!



今回は主人公の澪がさまざまな選択を迫られます。

料理人としての生き方、女性としての生き方…。

どっちも大切だけれど、どちらかだけを選ぶのは難しい。

そんな澪の逡巡する気持ちと、

澪のことだけを考えてくれる周囲の人の純粋な愛情がくっきりと表れて、

みをつくしシリーズの盛り上がりも最高潮な雰囲気です。



作者のあとがき瓦版によると、もう最終話のタイトルもあらすじも決まっているそうです。

易者が澪を「雲外蒼天」と占ったとおり、幾多の艱難辛苦を乗り越えて、

澪なりの青い空がのぞめるように、最終話に期待しています。



最近では「みをつくし」シリーズのドラマ化を望む声が高まっています。

hanako的には、澪には蒼井優さん、ご寮さんには藤村志保さん、

つる屋の旦那さんには泉谷しげるさん、を勝手キャスティング。

小松原さまは独特の存在感があるので難しいですが、

微笑んだときに目じりに優しくしわが寄る俳優さんが良いですね。

あと医師の源斉先生はルックスとしては羽鳥アナウンサーがぴったりかな。

おりょうさんは渡辺えりさん。

などなど、こんなにイメージが浮かんでくるのですから、ほんとに楽しい読み物です。



6弾が発売されたばかりですが、半年後の7弾を待ちに待っています。

(hanako)




行事と料理

 
お盆をそれぞれのご実家で過ごされた方も多いかと思います。

川野事務所でもお墓参りをかねてそれぞれの実家に帰省しました。


歯の調子が悪いという夫のためにお刺身と巻き寿司を用意してくれた母、

hanakoを喜ばせようと、好物のカマスの押し寿司やらかつおの刺身、フライなどを

ずらりと並べてくれた義母。

寿司は日本の行事食ですが、巻き寿司にしてもカマスの押し寿司にしても、

前日から材料をそろえたり、酢に漬けておいたりと、準備が欠かせません。


ずいぶん前のことですが、友人のところに一泊したとき、

友人の母上がお赤飯を炊いてくれたことを思い出しました。

絶妙の塩加減と豆の甘みが今もなお記憶に残っています。


自分のために作ってくれた料理の味を、ひとは一生忘れないと思います。

(hanako)



続「魔女の宅急便」 

 
先日から「魔女の宅急便」を読み進めて、3巻まで読了しました。

平易な言葉で楽しい世界を描いていながら、内容的にはとーっても深い、

ということを以前のブログで紹介したのですが、

読み進めるにつれて、ますますその思いを強くしています。



主人公の魔女キキは、ほうきに乗って宅配便をするお仕事だけしていたのですが、

だんだんとそれだけでは満足できなくなります。

何かもっとコリコの町の人たちに役立つことをしたいという気持ちになって、

お母さんから「くしゃみの薬」の作り方を教えてもらうのです。



「くしゃみの薬」は薬草を栽培するところから始まるのですが、

種をまいて、水やりをして、成長した草を刈り取って、種を採る。

こうした一連の作業をすることで、キキの心はどんどん健やかになっていきます。



親元を離れて見知らぬ町で新米魔女として孤軍奮闘してきたキキは

いつの間にか、自分の感覚、魔女としての感覚をすっかり置いてきぼりにしたまま、

いつも頭で考えて判断して気が張った状態でした。

それですごく疲れていたのです。

そんなとき、「くしゃみの薬」をつくることで、自然のサイクルに身をゆだね、

自分の感覚に頼る、おおらかな気持ちのよさを知るのです。



ひるがえって現実の世界ではどうでしょう。

何でも自分の頭で考えて、ジャッジして、損得勘定にしばられて、

そのうち身動きがとれなくなってしまうことがあります。

きっと自分のハートよりも頭の判断を信じているときかもしれません。

もちろん仕事では冷静な判断が重要ですが、その判断を下す自分そのものは、

いつも自分の心に、自分の感覚に忠実でいたいな、と思いました。


(hanako)











土佐の名店1泊2日の旅(2日目)

 
土佐の旅
(2日目)
旅先だからこそゆっくり起きて、朝の時間を味わいましょう。
のんびりした気分で「高知の日曜市」に出かけるのもいいですよね。

人はありのままに存在する草花を眺めるだけで、心おちつくものです。
多忙の中、日常を抜け出してきた人には「牧野植物園」をおすすめします。

これから何かに挑戦するぞ!というときは、
やはり定番の「桂浜」に向かいましょう。
ドラマ「龍馬伝」のラストを思い出しながら、おりょうさんのように海を眺めるのもいいですね。
あわせて「龍馬が生まれたまち記念館」なども訪ねてみると楽しいです。

ランチ「草や」 
 高知市鷹匠町にある古民家を利用した和食店です。
 お昼は座敷で高知の食材を使った定食が食べられます。
 高知出身の写真家・公文美和さんによる本も出版されています。
 田舎のおばあちゃん家でごはんを食べる感覚ですので混雑すると相席も。
 ゆったりしたい場合は別の店をセレクトしてください。

ランチ「土州屋」
 商店街から伸びる裏道にあるラーメン店。
 濃いめのスープが麺によく絡んで、食べ応えのある一杯です。
 ちなみに「土州屋」の隣の2階が「スアン」です。

ランチ「ラーメン山小屋」
 大津バイパス沿いにあるラーメン店。
 にんにくラーメンが人気です。高知の人はにんにく臭に寛容なのか、
 サラリーマン、OL風の人たちも、こぞってにんにくラーメンを食べています。
 みそラーメンなど味のバリエーションはあるものの、基本はにんにくスープなので、
 「みんなでにんにくラーメン食べよう」という一致団結した気持ちでたずねてください。

定番の「ひろめ市場」
 屋台のように食べ物屋さん、食品店が並ぶ界隈。
 ビール片手にあちこちで調達したおいしいものを食べるスタイルです。

ちょっとお買い物は「ナチュラルハウス高知店」
 オーガニックな食材、食品、自然化粧品、健康衣類など品揃え抜群。
 地元のパン屋さんが焼いているオーガニックパンが大人気のようです。
 開店と同時に、常連さんがどんどんパンを買っていきます。

おいしい果物なら「青果の堀田」(高知市永国寺町) 
 土佐文旦、トマトなど高知らしい青果や新鮮なぶどうなど、おいしさには定評があります。
 季節ごとに送ってくれるDMに誘われて、つい旅の帰りに立ち寄ってしまいます。

おいしい日本酒なら「鬼田酒店」と「古谷酒店」
 日本酒からワインまで品揃え豊富な鬼田酒店(日本酒は「酔鯨」「美丈夫」など)。
 高知自慢の「南」が手に入るのは「古谷酒店」(奥さんのお酒の味の表現は一聞の価値あり)。
 高知のおみやげにぜひどうぞ。


高知にはまだまだ魅力的なお店、場所がたくさんあると思います。

また素敵なお店を発見しましたら、随時更新していきたいと思います。

(hanako)



土佐の名店1泊2日の旅(1日目)

 
「小さな旅」をする上で、おいしいものを食べられるお店は非常に重要なポイントになってきます。

今回は、hanakoが「小さな旅」でリピートしている高知を取り上げ、
1泊2日の旅スタイルですてきなお店をご紹介します。

(1日目)
午前11時ごろ徳島を出発して、午後1時すぎ、高知市内に到着。

ランチはベトナム料理「スアン」
 生春巻き、フォー、炒飯、デザートのランチセットで900円。
 一皿一皿、つくりたてのオージャスあふれるお料理。
 あっさりした味わいながら、後に引くおいしさ。
 淡い記憶ながら、後々まで頭の片隅に残ります。
 (ランチタイムは平日でも予約が必要なほどの人気店。
  午後2時前のランチタイム終了前に入店するというタイミングがミソです)
 
高知の雑貨とおしゃれなお店巡り。
 高知市はりまや町のセブンデイズホテル周辺には、楽しい雑貨店が点在しています。
 事前にお店のめぼしをつけて、散歩がてらぶらぶらたずねてみるのもいいですよね。
 高級洋服店の「T.O」も目の正月にはうってつけ。
 美しい洋服はデザインはもとより、確かな生地と卓越したカッティング、丁寧な縫製から
 成ることを実感させてくれる良質なお店です。
 
夕食は日本酒とおでん、和食の「吟座於傅」

 以前のブログでも紹介しましたが、吟醸酒が冷蔵庫にずらりと並ぶお店です。
 2人連れならカウンターで、ガラス製のサイフォンのような機器にお酒を移してもらって、
 ちょこちょこ飲むと、時間がたつのも忘れる楽しさ。
 冬は味のしみたおでんがおすすめ。
 新鮮なお魚料理は通年食べられます。
 枝豆をさやごと焼いてもらったり、きびなごをあぶってもらったり、
 好みに合わせて、ちょっとした料理をアレンジしてくれるのも、うれしい。

地酒と和食「どんこ」もおすすめ!
 はりまや橋から徒歩数分。
 路地の奥にひっそりたたずむ古民家風の建物がお店です。
 定番の「かつおのたたき」(ぜひ、塩たたきで!)から、からしれんこん、うつぼのたたき、など、
 どのお料理も素材が新鮮で味付けがちょうどいい感じです。

ホテルは「リッチモンドホテル高知」
 帯屋町の商店街に玄関があるホテルです。
 お部屋の清潔感、ベッドの眠りやすさ、部屋のアメニティーなどを総合して、
 ここが一番のお気に入りです。
 「吟座於傅」から歩いて5分。ほろ酔い加減で帰っても大丈夫です。
 駐車場は歩いて5分の立体駐車になるため、不便を感じる人は別セレクトしてください。


イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(平凡社)

 
先日人気テレビ番組「建もの探訪」でおなじみの渡辺篤史さんの講演を聴くことができました。

講演で渡辺さんは「明治期に日本を旅したイザベラ・バードは、東北の街並みを絶賛していた」

とおっしゃっていたので、早速、イザベラ・バードの本を手に入れました。




イザベラ・バード(1831-1904)はイギリス人女性で明治11年6月から約3ヶ月間、

東京から北海道まで旅行したそうです。

40歳を過ぎてから本格的な旅行をはじめ、日本、中国、マレー半島、チベットなどを巡り、

その生涯のほとんどを旅に終えたとのこと。


本書ではイザベラ・バードがまず船で横浜の港に到着してから、東北を目指す旅の通訳兼秘書を

探すところから始まります。

無事、18歳のイトウ(伊藤)という通訳を採用し、駄馬に乗って旅を始めるのですが、

東京から日光の金谷を経て、貧しい農村地帯を進むあたりの記述が非常におもしろかったです。


農村では外国人が快適に泊まることのできる宿は少なく、

あったとしても、蚤(ノミ)と蚊の大群でフツーに寝ることもままなりません。

庭先に池を配置した宿の部屋に案内されたイザベラは

「なぜ日本人はわざわざ蚊を発生させるような池などを掘るのか」と首をかしげるのです。


イザベラ自身も自分の見たリアルな日本人の姿を記述するのは抵抗があったようですが、

夏の農村は、男女ともに裸に近い格好で、皮膚病は蔓延し、眼病を患っている人も多かったとのこと。

「この女性は50過ぎかと見当をつけて年齢を尋ねてみると、22歳と答えてびっくりした」ということも

あったそうです。

維新後とはいえ、まだまだ農村にその変化が訪れるのは先のことのようで、

ドラマ「仁」に描かれる江戸末期の武家とはだいぶん様子が違うようでした。


ただ、当時の農村の人々は家畜をとても大事にしていたようです。

あるとき、どうしても肉が食べたいイザベラが、通訳イトウに頼んで、鶏を買ってこさせます。

「明日は鶏の煮込み料理が食べられる」と楽しみにしていたら、夜半すぎに、

鶏を売った農民が宿を訪ねてきて、

「大事に飼ってきた鶏を食べられるのは忍びない。お金は返すから戻して欲しい」と懇願するのです。

そのほかイザベラは各地を旅する中で、貧しいながらも農民たちが子供をとても大事に

育てていることに驚いたそうです。

旅の間ずっと、子供が泣きわめく様子や、親にたてつく様子を見たことがない、と感心していました。



外国人から見た、明治11年の日本人の姿。

当時の人々のようすだけでなく、風習や暮らし方なども記録として通じるレベルで

描かれていますので、非常に興味深い一冊でした。


(hanako)







同時通訳者の本

 
最近、思い出したように米原万里さんの本を何冊か読みました。

米原万里さんはロシア語の同時通訳者であり、エッセイストとしても活躍されていましたが、

残念ながら若くしてお亡くなりになっています。


大学時代に初めて手に取ったときは、「へぇ、おもしろいな」くらいにしか思わなかったのですが、

最近、再読してみると、ロシアの甘いお菓子を巡るエッセイや同時通訳の失敗談など、

さまざまなトピックの裏に、非常に深淵な比較文化論や日本人が普段は知り得ない小さな歴史が

詰まっていて、大変勉強になりました。


分かりやすくおもしろい内容でありながら、事実をきちっと押さえた文章を書けるというのは、

やはり米原万里さんが通訳者だったからだと思います。

政治や医療、サイエンス、工学などさまざまな国際会議で活躍する同時通訳の方は、

当然のことながら、本番までに会議の内容についてはできうる限り、調べて、調べて、

これ以上調べられないところにまでくると、あとは資料と辞書を片手に、

なかば祈るような気持ちで臨むそうです。


通訳をしていて一番困るのは、ジョーク・ユーモアの類を訳すときだとか。

笑いというものは、言葉だけではなく、それ相応のバックグラウンドを知っていて初めて、

笑えるものであって、それをすべて説明していると、しらけてしまうのは当然です。

あと、ヨーロッパの偉い学者さんはやたら講演などでラテン語を引用する(知識をひけらかす)らしく、

ロシア語通訳でありながら、ラテン語を英語の辞書で調べて、英語訳からロシア語訳を調べて、

という風に、一つの言葉について、とことん向き合ってこられた姿勢がよくわかりました。


通訳者の方は、本番直前までに、体の細胞にしみこませるくらいに膨大な知識を詰め込んで、

本番になると、自らの機転をフル稼働させながら、まるで真空管のように右から左へスーっと

言葉をトランスファーしていく様子が目に浮かび、プロの職人としてのありように感じ入りました。

(Hanako)



『魔女の宅急便』(角野栄子、福音館書店)


『魔女の宅急便』といえば、スタジオジブリの映画です。

主人公の魔女キキは、

13歳になると親元を離れて見知らぬ街で独り立ちをするという魔女のおきてに従って、

愛猫のジジとともに、ほうきに乗って、コリコという街へやってきます。

そこで始めたのが、魔女の宅急便屋さん。

ひとからひとへ、さまざまなものを運びながら、キキが人間的に成長していく物語です。



最近、その原作の児童書があることを知りました。

それが『魔女の宅急便』(福音館文庫、全6巻)です。

毎晩、眠る前に1話ずつ読んでいるのですが、

ほんとに平和で楽しい世界が広がっています。



児童書はわかりやすい言葉で綴られ、自然に想像がふくらむように描かれているのに、

ときに鋭く、ときに考えさせられる言葉が点在していて、思いがけず、

物語の奥深さにひきこまれることがあります。



原作を映画化する場合は、ときに大きなギャップが生まれたりもしますが、

『魔女の宅急便』は、読者が本を読んで思い描いた世界を、

宮崎駿監督が素直に映像化している印象でした。

やはり原作の世界観が完成されているからこそでしょう。



ちなみに今年の年末から徳島県立文学書道館で

『「魔女の宅急便」の世界展』が開かれるそうです。

平成24年1月22日(日)には、原作者の角野栄子さんも来館して講演される予定。

ずいぶん先の話ですが、ぜひ参加してみたいと思います。

(Hanako)


辰巳芳子さんの本

 
管理者Hanakoです。

家事に気乗りがしないとき、仕事帰りに買い物するのが億劫なとき、

自戒をこめて、辰巳芳子さんの本を手にとります。


「崩食」を嘆き、日本人が培ってきた細やかな技術や風土に根ざした伝統、

まごころを込めてモノにも人にも接する精神を一貫して説いています。


最初は「料理」の「理」に重点をおいた料理研究家の方だと勘違いしていたのですが、

雑誌「ミセス」誌上で分子生物学者の福岡伸一氏と対談されている内容を読んで、

辰巳芳子さんが「食」というものを、人間の根源的な要件として捉えていることを知りました。

食により人の存在がつくられ、日々の食事により細胞の一つ一つが刷新される。

長い年月をかけて、思想や技術、伝統、人種の在りようなど、食からさまざまに展開している様が、

大変よく理解できたのです。


著書は『いのちの食卓』(マガジンハウス文庫)や『家庭料理のすがた』(文春文庫)など

多数出版されています。


『いのちの食卓』から、心に響いたカ所を抜粋させていただきます。

  「人とのかかわりにおいては、互いに仕え合うということを重んじています。

  ところが最近ではどうも人々が立ち向かっているように見えるのです。

  人に対してだけでなく、自分自身に対しても、なにか自己実現といって、立ち向かっている。

  それは、とてもしんどいことではないかと思います。(中略)

  人とのかかわりにおいて、仕え合うことの一つの稽古が料理なのです。

  自分のために、家族のために、その稽古を365日できるのが、食べものを作っていくこと、

  すなわち生活そのものです」



辰巳芳子さんは料理研究家の先駆けでもあった辰巳浜子さんの娘ということで、

料理一筋に生きてこられた方かと思いきや、

聖心女子学院卒業後、保育士になったものの、結核を患い15年間の闘病生活を送ったそうです。

その後、病に倒れた父上の看病を続けるうちに、嚥下障害を持つ父上に少しでも

おいしさを感じられる食事を出したいという一念から、栄養満点で飲み込みやすいスープを

作るようになったのだとか…。



芳子さんは娘時代に床の掃除をしていたら、母上から

「あなたはまごころの込め方を知らない」

と指摘されたそうです。

これは大きな畏怖を感じる言葉ですよね。



まごころの込め方というのは、それについて根源的に追求しながら、日々の生活を丁寧に

生きている人にしか分からない境地なのでしょう。


ともかく、襟を正してくれる良書の数々。

来年は辰巳芳子さんのドキュメンタリー映画も公開されるそうです。






calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

書いた記事数:295 最後に更新した日:2024/02/14

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM